■日本人はなぜ規則・ルールを文書化するのが嫌いなのか?
前田裕二氏は20代でネット事業で上場企業にも投資させるほど話題になりました。その著書の中で米国と日本のビジネス慣習の違いを次のように述べています。
『日本は傾向として、作られたルールの中で成果を出していくことに競争性があります。その面に関しては、本当に勤勉で、しっかり結果を出していくことに競争性があります。しかし、アメリカの場合、先にルールや、ハコを作ってしまいます。作られたハコの中で各国が競争していく状況に持ちこむマウントプレイがうまい。当然、ルールを作った当事者であるので、アメリカが一番強いプレイヤーでもいられます。アメリカの優れた起業家は、既存のビジネスの精度を高めるよりも、はなからプラットフォームを作っていく発想をします。つまりルールブックを、自分で書いてしまうのです。』
(「人生の勝算」p223)
米国は訴訟社会といわれるように法律体系を軸に相互の利害調整をしています。その点では自己と他者はもともと立場の異なる人間同士として向き合う形を前提にしているといえます。だからこそ、事前に互いの違いを明確にするうえでも“契約”として相互承認が求められるのです。
ところが、日本ではそうした事前の明確な契約は“形式的”な文書という「建て前」とみなされ、できるだけ相互の話し合いの中で承認し合える関係づくりを重視します。つまり、日本人にとっての「契約」は、ルールを互いに守る“前提”ではなく、あくまで相互の親密な関係性が外に現れたものとみなしているのです。
そのために契約内容も相互の信頼性を確認し合うような抽象的な言い回しが多く、「共につくる」や「互いに尊重し合い」といった信条を記述したルール・規則の文が目立つことになります。取引でのトラブルの解決への前提条件など明らかにする内容ではなく、あくまで相互に在りたい姿を表現した”合意”が形式的に示されているものです。
日本人がルール嫌いとも受け取れるような現象がみられるのも、実のところその集団内での互いの居心地の良さを求めた結果です。さらに、そこには「同調圧力」による合意形成という問題が隠れています。
「同調圧力」は「内集団バイアス」の現れとしても知られますが、他者を認めての合意ではなく、他者からの目を気にして嫌われたくないという感情が強いことがその特徴だともいえます。そうした同調圧力が生まれてくる背景には、互いが認めあえるような対等な関係よりも、安心のための「居心地の良さ」を優先する心理が働いているとも考えられます。つまり、同調圧力を押し付けてくる人と同調圧力に流される人は、表裏一体であることに注意が必要といえるでしょう。